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(227)器械製糸場の純水館の沿革概要を考証する

机译:(227)器械製糸場の純水館の沿革概要を考証する

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摘要

信越鉄道が開通したのは1888(明治21)年で,このことは小諸(現長野県小諸巿)での商業の活性化に弾みをつけた.1862(文久2)年に荒町の豪商「酢屋」に生まれた小山久左衛門は,製糸工場に不可欠な豊富で良質な水資源があることに注目した.1859(安政6)年に外国との自由貿易が許可され生糸輸出の貿易港(横浜)に比較的に近いという立地条件に恵まれていることにも着目し,1890(明治23)年7月に大里村諸(もろ)(現小諸巿諸)に後の時代,信州で東信最大級の百人繰りとなる「純水館」を設立して操業を開始した.純水館では生糸繰糸担当の工女たちに糸取り作業を習熟させることが設立当初の課題であった.1892(明治25)年,アメリカでシカゴ万博が開催されると生糸価格が高騰し,それに伴い純水館の企業活動が好転した.純水館が1899(明治32)年創業10周年に祝典を挙行した時の釜数の合計は357釜であった.さらに,創業20周年を祝った1909(明治42)年には,純水館全体の釜数は837釜にまで増加した.1924(大正13)年3月,組織変更した純水館が,これまでどんな事業を展開してきたかを記載した沿革概要が作製された.純水館の歴史の事業内容を知る上で沿革概要は有益であるので,本稿ではこれを解説し併せてコメントを紹介することにしよう.

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