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近代日本における「記念植樹」に関する文化史的研究―1879年グラント将軍訪日記念植樹式一考―

机译:近代日本“纪念植树”的文化史研究-以1879年格兰特先生访日纪念植树仪式为例-

摘要

本研究では近代日本において実施された「記念」に樹を植えるという行為、即ち「記念植樹」に関する文化史の一つとして、明治12(1879)年に国賓として来日した米国第18代大統領U.S.グラント、通称グラント将軍による三ヶ所(長崎公園・芝公園・上野公園)の記念植樹式に焦点をあて、それが行われた公園という空間の歴史的変遷を分析することによって、何故そうした儀式的行為が営まれたかという意図とその根底に備わっていると見られる自然観を考察した。 なぜ記念植樹か。実は近代化が推進される当時の日本において記念碑や記念像が相次いで設置されていく傍らで、今日、公私を問わずあらゆる場面において一般的となった記念樹を植えるという行為もまた同様に、時の政府や当時を代表する林学者らによって国家事業の一環として推進されていたという事実があり、加えてこうした儀式的行為を広く一般に浸透させる為に逐一ニュースとして記事にしていた報道機関の存在から、記念に植樹するという行為もまた日本の近代化の一牽引役として働いていたのではないかと推測され得るからである。 本文では1872年のグラント政権が開国後間もない新政府の近代化政策に与えた諸影響を中心に論じたが、例えばこのグラント政権下において米国で初めて国立公園が設定され、Arbor Dayという樹栽日が創設され、且つ同政権下の農政家ホーレス・ケプロンが開拓使顧問として来日、増上寺の開拓使出張所を基点に北海道開拓を指揮するなど、グラント政権下における殊に「自然」に関わる政策で新政府が手本としたと見られる事柄は少なくない。こうした近代化の指導者ともいうべきグラント将軍による記念植樹式は、いずれも明治6(1873)年の太政官布告によって「公園」という新たな空間に指定された社寺境内において営まれ、米国を代表する巨樹「ジャイアント・セコイア」等が植えられたのだが、新政府にとってそれは単に将軍の訪日記念という意味のみならず、「旧習を打破し知識を世界に求める」という西欧化政策を着実に根付かせる意図を持ってなされた儀式的行為であったと考えられる。しかしながら同時にこの儀式的行為は、「樹木崇拝」という新政府が棄てたはずの原始的な自然崇拝が根底に備わるものであり、新旧の自然思想が混淆している点を見逃してはならない。 従って明治初期の記念植樹という行為は、新旧あるいは西洋と東洋の思想とかたちと融和させるために行われた一種の儀式的行為であり、明治の指導者たちはこのような自然観を応用しながら近代化促進につとめたといえるのではないだろうか。Planting memorial trees is today a common practice. The act of planting such trees indeed contributed to the promotion of Japanese policies of modernization in the Meiji era, no less than erecting monuments or memorial statues. Two facts support this hypothesis. First, there are texts encouraging the planting of memorial trees, some written by Honda Seiroku, professor of the Imperial University of Tokyo, who laid the groundwork for modern forestry, and others issued by such government offices such as the Ministry of Agriculture, Commerce and Forestry. Second, the media came to recognize the news value of memorial planting and reported on it. Under these circumstances, memorial trees were planted widely as rites of national significance in modern Japan. The event that I examine here is the ceremony commemorating General Ulysses S. Grant’s visit to Japan as a state guest in 1879. Materials indicate that General Grant planted memorial trees at three different parks, all of which were former landholdings of Buddhist temples and Shinto shrines, transformed now into modern Japan’s first public parks by decree in 1873. An analysis of the characteristics and historical changes of these park spaces and the types of memorial trees chosen for planting suggests that the intention was to reflect the policy of Westernization in Japan, with its emphasis on breaking with the past and obtaining new knowledge. At the same time, the root of these ritual practices can be seen in the worship of trees which the government otherwise rejected. There is evidence here that an admixture of old and new ideas regarding nature was one source powering this particular aspect of the promotion of modernization in Japan.
机译:在这项研究中,美国第18任总统于1879年以国宾身份来到日本,是“纪念植树”的文化历史之一。为什么通过着眼于格兰特(通常称为格兰特将军)的桑修(长崎公园,芝公园,上野公园)的纪念植树仪式,并分析公园所在空间的历史变迁,来进行这样的仪式。我们考虑了是否执行该协议的意图以及似乎是其基础的自然观。为什么要植树纪念?实际上,在现代化之时,在日本历史悠久的纪念碑和纪念影像接连建立之时,种植纪念树的行为在当今无论在公共场合还是在私人场合都变得很流行。实际上,当时的政府和当时的林业代表正在将其作为国家项目的一部分进行推广,此外,还存在着被媒体逐一报道的新闻媒体,以将这些仪式行为广泛传播给公众由此可以推断,为了纪念日本植树的行为也可能在推动日本现代化方面发挥了作用。在本文中,我主要讨论了1872年格兰特政府对刚刚开放的新政府的现代化政策的影响,例如,在这个格兰特政府的领导下,美国建立了第一个国家公园,树名为Arbor Day。夏树成立后,政府下任的农业政治家霍拉斯·凯普隆(Horace Keplon)来到日本,担任开拓大使的顾问,从开拓大使在佐上寺的分支办公室领导北海道的开拓。新政府似乎在很多方面仿照了相关政策。格兰特将军被称为这种现代化的领导者,在1873年由首相宣布在指定为新场所称为“公园”的神社区域举行了植树纪念仪式,该仪式代表了美国。种植了巨树“巨人红杉”,但对于新政府而言,它不仅意味着纪念将军的日本之行,而且还坚定地根植了“打破传统并向世界寻求知识”的西化政策。相信这是有目的的仪式性行为。但是,与此同时,这种仪式行为是基于对树木的原始崇拜,而新政府本应放弃对树木的原始崇拜,即所谓的“树木崇拜”,并且不应将新旧自然思想混为一谈。因此,明治初期的植树纪念活动是一种融合了新旧,西方和东方思想的仪式性活动,明治领导人运用了这种自然观。可以说,为促进现代化作出了努力。种植纪念树是当今的一种普遍做法,确实是在明治时代促进了日本的现代化政策,这不亚于建造纪念碑或纪念雕像,这有两个事实支持这一假设。鼓励纪念树的种植,其中一些由东京帝国大学教授本田世六(Honda Seiroku)撰写,为现代林业奠定了基础,而其他则由农业,商业和林业部等政府机构发布。在这种情况下,纪念树被广泛种植,成为现代日本具有国家重要意义的仪式。我在这里考察的活动是纪念尤利西斯·S·格兰特将军访问美国的纪念仪式。日本于1879年作为国宾出国。资料显示,格兰特将军在三个不同的公园种植了纪念树,所有公园都是佛教寺庙和神社的土地,根据1873年的法令,如今已转变为现代的日本第一个公园。对这些公园的特征和历史变化以及所选择的纪念树类型的分析表明,其意图是反映日本的洋务政策,强调与时俱进,获取新知识。与此同时,这些礼节习俗的根源可以从政府不愿接受的树木崇拜中看出。在自然界中,新旧观念的融合是推动日本现代化发展这一特定方面的动力之一。

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