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What Munangwan (問安官) Choe yu—he(崔有海) Heard about Europe : Reasons European Books and Goods were Presented to Tyinjusa (陳奏使) Chong du-won(鄭斗源)

机译:What munangwan (问安官) Choe yu—he(崔有海) Heard about Europe : Reasons European Books and Goods were presented to Tyinjusa (陈奏使) Chong du-won(郑斗源)

摘要

仁祖九年(崇禎四、一六三一)、陳奏使鄭斗源が北京からの帰路、山東半島登州でイエズス会宣教師ロドリゲスから漢訳西学書や西洋の文物を寄贈されたことは、朝鮮西学史上よく知られている。しかし、ロドリゲスがなぜ鄭斗源にそれらのものを贈与しなければならなかったのか、その理由についてはこれまで明らかにされてこなかった。本稿では、鄭斗源が明国に派遣される直前の仁祖七年(崇禎二、一六二九)九月に問安官として明国に赴いた崔有海の行動に着目した。崔有海は仁祖七年末から翌年春頃まで山東半島登州に滞在していたが、その間におこなった明国士大夫との交歓について、『黙守堂先生文集東槎録』と題して記録している。同書を分析した結果、崔有海は登州で、明末の天主教徒張壽と出会い、彼から西洋天文学・天主教教理、或いは西洋事情など西学に関する情報を伝聞していたことが明らかとなった。崔有海が帰国した直後に、登州にはロドリゲスや天主教徒の孫元化が赴任し、張壽と行動を共にするようになる。本稿では、ロドリゲスが鄭斗源と出会い、漠訳西学書や西洋の文物を贈与した背景には、張壽が崔有海と交歓したことが遠因の一つとなっていたのではないかと推測した。
机译:在重庆成立的第9年(崇定,1631年),在从北京返回山东半岛的旅途中,陈正正窦媛捐赠了耶稣会传教士罗德里格斯的西方教科书和西方文物的中文译本。在西方研究史上广为人知。然而,目前还不清楚为什么罗德里格斯必须将它们捐赠给郑道元。在本文中,我们重点介绍了崔海美的行为,他在重庆七年(1629年的忠治)(即成都元被派往明朝)之前担任警长,进入明朝。崔义海从第7年末到次年春天一直呆在山东半岛的Toshu,但是他在那段时期记录了与Daio Meikokushi的谈话,题为“沉默的监护人老师收藏的Tonotsuki记录”。 ..通过对这本书的分析,发现崔海美在明末与一位天主教大主教张吉会面,并向他介绍了西方天文学,天主教或有关西方研究的信息,例如西方事务。崔Umi返回日本后,罗德里格斯(Rodriguez)和天主教徒的亲属被委派到Toshu,并与张吉一起工作。在本文中,我推测罗德里格斯与郑豆根会面并介绍模糊的西方教科书和西方文物的原因之一是张吉与崔玉海发生了狂喜。

著录项

  • 作者

    鈴木 信昭;

  • 作者单位
  • 年度 2011
  • 总页数
  • 原文格式 PDF
  • 正文语种 ja
  • 中图分类

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