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近代以後日韓薬学交流史研究―日本政府招請国費留学生を中心に―

机译:近代以来日韩制药交流的历史研究-主要是受日本政府邀请的外国留学生-

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摘要

日韓薬学交流の歴史は少なくとも韓国の三国時代にさかのぼる.日本書記には百済聖王が554年(百済聖王32年)に医博士と採薬師を日本に派遣したという記録があり,日本古事記によれば新羅が414年(実聖王13年)に日本王の要請で医者波鎭飡(新羅時代の17等官制中の4番目官等)や金紀武を送り日本王の病を治したとされる,朝鮮時代許浚が著述した「東医宝鑑」(25巻25冊,1596~1613,韓国と中国の医書を集めて集大成した医学百科事典で内景,外形,椎病,湯液,鍼灸の5篇で構成)は日本でも刊行(1724,1799)されたが,このような事実は今日のように交通と通信手段が発達していない当時にも薬学分野の人的交流および学術交流が活溌に行われていたことを表していると言えるだろう.
机译:日韩医药交流的历史至少可以追溯到韩国的三个国家。日本店员有记录说,圣王百斋于554年(圣王百斋第32年)向日本派遣了一名医生和一名毒品藏家,据日本人晃吉说,真罗是414年(实王的第13年)为日本之王。徐渊在朝鲜王朝时期撰写的“东方医学宝藏”(第25卷),据说是通过应要求派遣Hajime(在Shinra时代的第17级政府体系中的第四位官员)和Kim Kitake治愈了日本国王的病。第二十五卷,1596-1613年,由朝鲜和中国医学著作汇编而成的医学百科全书,共五卷:内景,轮廓,椎骨疾病,热水以及针灸疗法(1724年,1799年)。可以说,这些事实表明,即使在运输和通讯手段没有像今天这样发展的时候,人们在药物领域的学术交流也在积极进行。

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